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ベリーダンスについて

アイコン時代と共に様々なスタイルを生み出しているベリーダンスの歴史や、踊りの種類、衣装について

#01 ベリーダンスの歴史

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日本は空前のベリーダンスブームと言われています。
毎月のように海外から有名ダンサーや振付師が来日し、また、日本人ダンサーの活躍も目覚ましい昨今、これからますますその人気は高まる事でしょう。さて、私たちが現在楽しんでいるベリーダンスは、どのようにして生まれ、発展してきたのでしょうか。

ベリーダンスの起源については諸説存在します。
宮廷で王様のために踊られたのがはじまり、という説や、結婚式で新婦に夫婦生活の手ほどきをするためにベリーダンサーが登場したという説、中には古代エジプトで女神イシスにささげる踊りが起源だという説もあります。これらの説が、そしてベリーダンス自体が概して口述によって伝えられたため、いったいどれが真実であるかを断言することは非常に困難です。一方で、そのどれもが正しいと思えるような可能性を秘めているのが「ベリーダンス」であるとも言えます。さまざまな場所で生まれた踊りが独自の発展を遂げ、そしてお互いの影響を受けながら形作られた踊りが今日、「ベリーダンス」として世界各地で共通語となったのではないかと考えることもできます。

そんな広い意味でのベリーダンスの歴史を簡単にご紹介していきます。

ベリーダンスのふるさと

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写真: テーベ・ネムアメン墓壁画
第18王朝(B.C.1400年頃) 大英博物館蔵

ベリーダンスは「世界最古の踊り」ともいわれており、その発祥の地としては現在のエジプトをはじめとする中東諸国、そして地中海沿岸や北アフリカの国々の名前が挙げられます。

実際に紀元前の古代エジプトの壁画には今日のベリーダンスやベリーダンサーを彷彿とさせる描写があり、その説を裏付ける証拠となっています。また、この頃の踊りが現存する全てのダンスの原型となったともいわれています。

女性による、女性のための踊り

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写真:'Women of Algiers in their Room' by
Eugene Delacroix, French.1834

そして7世紀、アラビア半島を中心に広まったイスラーム文化における男女の隔離思想が広まっていきます。
男性は男性同士、女性は女性同士で過ごすという考え方のもと、女性だけで集まり、おしゃべりをしたり踊ったりするハレム(アラビア語=ハリーム 女人部屋)が形成されるようになりました。
また、年若くして子供を産む人も多かったこの時代、出産に耐える筋力をつけるため少女にベリーダンスを教えていたという説もあります。

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写真:''Afternoon in Algiers' by Frederick
Arthur Bridgman, American.

この頃、ベリーダンスは女性による、女性のための踊りでした。
時代を超えて女性に愛される踊りであるベリーダンス。

今日、スタジオやイベント会場にたくさんの女性が集まり、ベリーダンスを見て、踊って、楽しんでいる光景は、当時の女性たちが目にしていたものと変わらないかもしれませんね。

ベリーダンスとハレム

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写真:’The Dance of the Almeh’
by Jean-Leon Gerome

15世紀には、ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープル(現イスタンブール)が陥落し、広大なオスマン帝国が築かれます。オスマン帝国の宮廷では皇帝(スルタン)一人のために、周辺各国から多くの女奴隷が集められ、大規模なハレムが形成されました。
一般に「一夫多妻」をベースとしてイメージされるハレムはこのグランドハレムを指すと思われます。グランドハレムでは最盛期には1000人を越える女性たちが生活し、彼女たちは歌や踊りをはじめとして礼儀作法や料理、裁縫、さらにアラビア文字の読み書きから詩などの文学に至るまで様々な教養を身につけていたそうです。

また、奴隷の身分でも宮廷でスルタンに仕え、寵愛を受けて後継ぎを産めば一躍王侯貴族の仲間入りという「成りあがり」が可能だったため、女奴隷の中には市場でくねくねと腰をくねらせて客にアピールする者もあったといわれています。
この頃、ミステリアスなハレムのイメージが西欧諸国に紹介されるようになり、のちに「オリエンタリズム」の象徴としてベリーダンサーが絵画などに登場し、とりわけ官能的な部分にスポットライトが当たります。同時に、ベリーダンスの持つ意味合いが変わってきたのもこの頃で、女性たちだけで楽しまれていた踊りが男性のために、また自分の出世の道具として使われるようになったとも言えます。

ベリーダンスが世界へ

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写真:Little EgyptのダンサーAshea Wabe
photo by Benjamin Falk

日本では「ベリーダンス」という名称が一般的ですが、この言葉が最初に登場したのは19世紀後半、今から約120年前のことで、ベリーダンスの歴史からすると、大変新しい出来事です。

1893年、アメリカのシカゴ万国博覧会でこの踊りが紹介された際にアメリカ人のディレクターによって「Belly dancingベリーダンシング」すなわち、お腹の踊りと命名され、
その後世界各国へと広まっていきます。

ちなみに、アラブ文化圏ではラクス・シャルキー(Raqs Sharqi ??? ????、「東方の踊り」の意)エジプトでは、ラクス・バラディー(Raqs Baladi ??? ???? 「民族舞踏」の意)
もしくは単にバラディー(Baladi ???? 「国の」の意)と呼ばれ、トルコ語ではオルヤンタル・ダンス(Oryantal dans?、「東方舞踏」の意)と言い、この名称は現在でも使われています。

ベリーダンスとアメリカ

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ベリーダンスは、20世紀後半の数十年で 現在のような形にまで発展し、今では世界中で親しまれています。その成功の背景にはエンターテイメントの国アメリカでの人気、またそれを支えた好景気の影響があったことは間違いありません。

20世紀中盤になると、アメリカへ渡ったアラブ系や地中海沿岸諸国の出身者がNYなどの大都市で経営するナイトクラブでベリーダンスが繰り広げられるようになり、そのうちにアメリカ人ベリーダンサーが続々誕生していきました。彼女たちは伝統を受け継ぎながら、より魅力的な衣装や演出でベリーダンスに洗練さを加えました。

今では世界中で一般的になっている剣やイシスウィング、ファンヴェールなども、最初に使い始めたのはアメリカ人だといわれています。
また、トライバルスタイルが生まれたのもアメリカで、2002年に結成されたベリーダンス・スーパースターズは、オリエンタルやトライバルの垣根を超えたさまざまな才能を持ったベリーダンサーが所属するエンターテイメント集団です。
彼女たちは世界各地でパフォーマンスを行い、その規模の大きさや演出でベリーダンスの新しい世界を開きました。いまや、アメリカ人ダンサーがベリーダンス人気の一端を担っていると言っても過言ではありません。

日本におけるベリーダンス

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写真:海外のコンペで優勝経験のあるZIZI
Farasa Studio http://www.farasa.jp/

日本で最初のベリーダンススタジオができたのは1980年代、そして90年代には海外で修業したインストラクターやダンサーが登場しました。
はじめの頃はベリーダンスを習得するにはエジプトやアメリカに行かないと難しかったのですが、2000年以降 、スタジオの数が急増し 日本でもレベルの高いレッスンを受けられるようになりました。海外の有名ダンサーや振付師を招いてのWSやショーが毎週のように日本全国で行われ、その人気は衰えを知りません。


また、たくさんの日本人ダンサーが国内外で活躍しており、海外のコンペで優勝、入賞するなど日本のベリーダンスのレベルの高さを証明しています。ジャンルにとらわれない、さまざまなスタイルのダンサーが登場する日本のベリーダンス界は今後も注目を集めることでしょう。